町名の謎【新宿編 その6 -曙橋駅周辺-】

新宿区曙橋駅(新宿線)~四谷三丁目駅(丸の内線)近辺

曙橋駅から新宿三丁目周辺の地名の由来についてご紹介します。

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市谷仲之町(いちがやなかのちょう)

もとは武家地。市谷本村町にあった尾張徳川家上屋敷と河田町にあった尾張家屋敷との中間にあった地で、俗に仲ノ町と呼ばれていたものを、明治4年に町名とした。

市谷台町(いちがやだいまち)・住吉町(すみよしちょう)

大正11年に市谷谷町からこの二つの町に分かれた。市谷台町は谷町に対して台地に開けていたことからこの名になった。住吉町は当初そのまま市谷谷町であったが、谷が重なると間違われやすいし印象が暗いということで、昭和27年に町名を変更した。「住みよいように」という、簡単な由来である。

愛住町(あいずみちょう)

明治5年に武家地を開いてつくられた。隣人と愛し住む町にしようという願いからこの名がついたといわれているが、真偽は不明。

舟町(ふなまち)

江戸時代は武家地、寺の境内地であったが、中央部に杉の巨木がたくさんあって、舟板の材木を切り出す場所があり、舟板横町といわれていたのを、明治5年に町名とした。近藤勇の養父周斎の隠居所がここにあり、没したところです。

荒木町(あらきちょう)

江戸期に植木屋が多く、近在から新しい樹木を仕入れていたところから、明治5年にこの町名が名づけられた。

片町(かたまち)

もとは市谷本村町の一部だったが、江戸期に一部を分離したということで片町となった。

坂町(さかまち)

坂沿いに開けた町ということで江戸期についたらしい。

三栄町(さんえいちょう)

昭和18年(1943)に北伊賀町、新堀江町、箪笥町を合併し、3つの町がともに栄えるようにとの理由で名づけられた。

須賀町(すがちょう)

この地に須賀神社があったことから明治5年に名づけられた。

左門町(さもんちょう)

幕府先手方諏訪左内の組屋敷があったことからこの名がついた。東海道四谷怪談の舞台となった場所が、ここ、左門町にある。