新宿区早稲田駅(東西線)南側近辺~牛込柳町(大江戸線)近辺
早稲田駅の南側から牛込柳町周辺の地名の由来についてご紹介します。
南榎町(みなみえのきちょう)
もとは先手組与力の屋敷であった。明治5年(1872)に榎町の南にあるという理由でこの名になった。
弁天町(べんてんちょう)
この地に弁財天を祀る祠があったことから、弁財天町となり、その後省略して弁天町となった。今でもこの弁天堂がある。
早稲田南町(わせだみなみちょう)
明治5年に早稲田町から南部分が独立しこの名がついた。
喜久井町(きくいちょう)
夏目漱石の父がこのあたりの名主で、夏目家の家紋が井げたに菊の花であったことからこの名がついた。ここには夏目坂という坂があります。
■夏目坂の話
あの夏目漱石に関連のある場所で、夏目坂と言う所があります。東西線早稲田駅前から喜久井町来迎寺までの南東へ上る坂です。
この辺りの大地主であった漱石の父直克が自分の姓にちなみ呼んでいたのが、人々に広まり、やがて地図にものるようになりました。また、漱石がこの地(現在の喜久井町1番地)で生まれたので、一層、坂名は有名になりました。喜井町という地名が、夏目家の紋章にちなんで直克が名づけたものだと言うのは、漱石自身が、随筆「硝子戸の中」で書いているそう。江戸時代 から馬場下の名主を世襲していた夏目氏は、明治の新市政の実施にあたり町名を夏目家ゆかりのあるものとし たということです。
夏目坂を登り始めてすぐ左に「夏目漱石生誕之地」と刻まれた黒みかげ 石の記念碑が建っています。漱石は、1867年 にこの地で生まれました。この碑は昭和四十一年に漱石生誕百年を記念して建てられたものだそう。また、隣の早稲田南町には、夏目漱石の住居があった所の跡を公園にした漱石公園があります。1916年に50歳で亡くなった終焉の地です。
馬場下町(ばばしたちょう)
高田馬場の台地下にあるということでこの名がついた。
原町(はらまち)
昔は椚原という名であったが、この地に町屋が開けた。椚原にできた町屋という意味から原町と名がついた。
市谷加賀町1・2(いちがやかがちょう)
明暦の大火まではここに旧加賀前田家の屋敷があったのでこの名になったらしい。
市谷甲良町(いちがやこうらちょう)
元禄13年(1700)に作事方棟梁の甲良豊前の屋敷となったことからこの名がついた。
市谷柳町(いちがややなぎちょう)
柳が多かったためといわれている。
市谷薬王寺町(市谷薬王寺町)
ここは薬王寺の門前町で、ここに由来する。
市谷山伏町(いちがややまぶしちょう)
北山伏町や南山伏町と同じ。明治5年に分離しこの町名となった。
■牛込って
「牛込柳町」「牛込神楽坂」などの駅名や消防署、警察署、郵便局などについているこの「牛込」ってなに?って思ったことありませんか?これ、実は昔の地名の名残です。大昔、この辺り一帯には牛の牧場があったところからその名が付けられたようです(「込」には多く集まるという意味がある)。