江戸川橋駅(有楽町線)~新宿区早稲田駅(東西線)北側近辺
江戸川橋や早稲田駅の北側の地名の由来についてご紹介します。
東五軒町(ひがしごけんちょう)
明治5年に、五軒町の東にあることからこの名がついた。
西五軒町(にしごけんちょう)
昔、この地に馬場があった。この馬場の建設にあたり土とりをした跡地を、この工事の請負人5人に与えられたのでこの名がついた。五軒町といったが、明治5年に東五軒町の町開きに際し「西」をつけた。
水道町(すいどうちょう)
沼地であったが承応年間(1652-54)に埋めたてられた。北に神田上水が流れていたことからこの名がついた。
築地町(つきじまち)
沼地であったが、明暦の大火の後に埋め立てられたため、この名がついた。
改代町(かいだいちょう)
慶長年間に、神田雉子橋の住民を牛込御徒町(町名の謎その2「南町、中町、北町」を参照)に移し、後にこの地に改めて代地を与え移したことからこの名がついた。
東榎町(ひがしえのきちょう)
榎町の東にあることから、明治5年に名づけられた。
榎町(えのきちょう)
この地に大きな榎があったことに由来するらしい。
山吹町(やまぶきちょう)
室町時代に、大田道灌が鷹狩りをしていて雨具を求め農家に立ち寄ったところ、娘が山吹の花1輪を差し出したという「山吹の里」がここだというらしい。ただ、これは埼玉県越生町にもあるので真偽は不明。
早稲田鶴巻町(わせだつるまきちょう)
小石川の方の田に鶴を放し飼いにしていたら、早稲田の方まで来てしまい、鶴の番人をおいたことからそう呼ばれるようになったらしい。
早稲田町(わせだまち)
生育の早い種類の品種を植えた田があったということでこの名がついたらしい。江戸初期にはすでにこの名があった。