大久保駅(JR線)、西新宿駅(丸の内線)、新宿西口駅・都庁前駅・西新宿五丁目駅(大江戸線)近辺
JRの大久保駅、東京メトロ丸ノ内線の西新宿駅、大江戸線の都庁前駅、西新宿五丁目駅近辺の町名の由来についてご紹介します。
北新宿(きたしんじゅく)
この地は豊多摩郡柏木村(柏木という地名は平安時代からのもの)と呼ばれていて、成子町(成子坂)等のたくさんの小字がありましたが、昭和46年の住居表示により、新宿の北にあるという理由でこの名になってしまいました。
西新宿(にししんじゅく)
もとは豊多摩郡角筈町という地であリ、その中で淀橋、十二社などの小字がありました。ちなみに角筈とは真言宗で在俗の僧を呼ぶ言葉で、当地の名主「渡辺与兵衛」がその名で呼ばれていたのが起源だそうです。昭和45年に住居表示により西新宿となりました。新都心の開発地がネームバリューの高い新宿の西という理由でした。淀橋にもいくつか由来の説があり、中野村や角筈村など地境の周辺4個所の意味の“四所”、 あるいはこれらの“余戸”が集って住んでいたから「よどばし」と、あるいは中野長者伝説からこの橋を“姿不見(姿みず)の橋”と呼んでいたのを縁起が悪いというので、水車のある風景が京都の淀に似ていることから “淀橋”と呼ぶようになったなどです。
■ 中野長者伝説「姿不見の橋」
中野長者伝説とは、かつて西新宿から中野にかけての土地を開いた、貧しい馬売 りから商売に成功して、後世に名を残した鈴木九郎という人の話です。
九郎は痩せ馬を育てながら、荒れた土地を 少しづつ切り開いて、 細々と暮しを立てていました。ある日、馬を売りに行く途中、浅草の観音様にお参りに立ち寄った九郎は、馬が高値で売れるように、願をかけまし た。「儲けたお金の中の大観通宝は、全部観音様に差し上げますから」と。それから馬市に行く と、馬は思わぬ高値で売れましたが、手 にしたお金は全部大観通宝でした。その日の食べるものにも困っていた九郎は大変悩みましたが、結局自分の約束を守り、手にした大観通宝を全部観音様に差し上げることに しました。それから必死に働いた九郎 は、この信心深い行いが報われたのか、「中野長者」といわれる大富豪 となりました。
しかし金持ちとなった九郎は、次第に欲深い男となり、ついには悪行まで働くようになりました。
九郎は、遠地に秘蔵してい た財宝のありかを知られないために、隠しに行ったときに連れて行った下僕をこの橋の上で殺してしまいました。この橋の上で下僕の姿が見えなくなったことと、後に九郎の一人娘(小笹)が九郎の悪行のせいで、婚礼の直前に呪われて蛇となり、この橋の上流(あるいは12社の池)から身を投げ、家の者がこの橋まで探しても姿が見えなかったという伝説があることから「姿不見の橋」と呼ばれました。
「姿不見の橋」というのは、こう言ったわけで、縁起が悪いと言われたのです。