新宿区飯田橋駅近辺(JR、東西線、南北線、有楽町線、大江戸線)
新宿区の飯田橋の周辺の地名の由来についてご紹介します。
下宮比町(しもみやびちょう)
明治5年(1872)に武家地であったこの地を町屋として開いたとき、宮比神社という社を建てたことから、台地の上を上宮比町、下を下宮比町とよんだ。上宮比町は、神楽坂に編入されてしまった。
揚場町(あげばちょう)
神田川の荷揚げ場であったので、この名がついた。
神楽坂(かぐらざか)
諸説ある。有力なのは、2丁目に高田八幡神社のお旅所(分祭所)があり、お祭りのときに牛込見附橋の上で神楽を奏したことから、近くの若宮八幡の神楽がこの坂まで聞こえたから、この坂のところに赤城明神の神楽堂があったからなど、いずれも神楽に 因んだ物だが、いずれの説が正しいかはっきりしないようだ。昭和26年に坂の名前を町名にするまでは神楽町と称していた。
神楽河岸(かぐらがし)
揚場町、神楽坂に接する神田川の河岸、船着場であった。神楽坂のふもとにあるところからこの名がついた。
津久戸町(つくどちょう)
筑土八幡神社の門前にあったことからこの名がついた。
筑土八幡町(つくどはちまんちょう)
筑土八幡神社の境内地であったが、元禄15年(1702)町屋となり、明治2年にこの名となった。
新小川町(しんおがわまち)
万治元年(1658)に白鳥池という池を埋め立てできた。今の千代田区小川町の住民をここに移住 させたことからこの名がついた。
市谷船河原町(いちがやふなかわらまち)
昔、この地に池があり、その池に船がたまっていたことに由来するらしい。
若宮町(わかみやちょう)
この地の鎮守である若宮八幡があった。その名をとった。