江戸の京むすめ「第21回 夏の締め括り!」

いやいや、やっと徹夜から解放されましたね・・

メダル旋風の吹き荒れたアテネオリンピック!結局殆どの競技(日本人選手が出場している放送)を見てしまいました。あっちでも金、こっちでも金、気付けば過去最高のメダル総数だとか。メダルを獲得した皆さん、おめでとうございます!

またスポーツ繋がりでは高校野球!京都からは平安高校が出場していました。千葉の経済大付属高校も大躍進でしたね。優勝した北海道の駒大苫小牧のナインの皆さん、おめでとうございます!

そしてそれぞれ参加された皆さん全員に『お疲れさまでした!』高校野球にしてもオリンピックにしても、真剣勝負の世界って儚い分美しいですよね。だからそれを視聴している私たちに感動を及ぼすんですよね。

さて、高校野球、オリンピックとお祭り気分が覚めやらぬまま・・行って来ました!!浅草サンバカーニバル!!!

でも・・どうして浅草がサンバ?リオと姉妹都市?(←調べましたが違いました。)何があったん?いつから始まったん?その疑問は全て一つのサイトが解決してくれました。

asakusa

抜粋になりますが、
1、昭和30年代後半から40年代にかけて、当時の内山台東区長と浅草喜劇俳優の故・伴淳三郎氏が、浅草の新しいイメージを作るものとして、ブラジルのサンバカーニバルを浅草のお祭りとして取り入れることを提案した。

2、これがきっかけとなって、浅草の商店連合会が主体となるサンバカーニバルが誕生した。

3、さらに浅草観光連盟もカーニバル推進協議会に加わり、浅草サンバカーニバルは東京下町の夏を代表するお祭りのひとつにまで成長した。

区長さんと喜劇俳優さんのコラボレーションと言う点もスゴイですが、それに乗った商店連合会さんも観光連盟さん、そしてサンバを受け入れた浅草の皆さんは、まとめてエライ『新しいモノ好き』やと言えますね。

さてさて今年のサンバカーニバルですが、サンバカーニバルの日は晴れる!との伝説も虚しくあいにくの小雨模様。いや・・もしかしたら大雨になるはずが、みんなの熱気で小雨に留まったのかも知れません。降ったり止んだりちょっと強く降ったりまた止んだりの繰り返しでしたが、お天気なんて何のその!大勢の観客でゴッタ返す浅草!熱かったです!

私がいたのは雷門通り。ゴール近くに陣取っていました。時間になると・・来るわ来るわ、賑やかなダンサーの到来です。

重そうに楽器を抱えて一生懸命に演奏する子供たちに涙ぐみ、胸の大きな女性を見付けては『ええなぁ』と呟き、最初は我慢していたのが途中からはやっぱり一緒に踊ってしまい、ブラジル人の方の腰付きを真似しようとして後ろにいたカメラのおじさまにぶつかり、『すみません』と謝った隙に場所を取られ(熾烈な争い?)、雨が降ってきたのでマンションの軒下へと避難すると管理人さんに怒られ、ションボリしていると三瓶デスの三瓶ちゃんとキャイーンのウドちゃんが通ってご機嫌、『うわ、テレビ映ったかも?』と髪を整える頃には誰もおらず、お腹空いたーとワガママを通してはミスドへ急ぐと・・・

そしてサンバを見終わった後、近くのお店へ夕食を食べに行くと、そこのテレビでは何と!!大曲の花火大会中継を観る事が出来ました。思わぬ夏の風情にビックリ。

あぁ・・これで夏も終わりやなぁ・・

朝晩がめっきり涼しくなった最近、お布団を一段階分厚くしてみました。ベランダにはスズメに混じって、トンボが遊びに来るようになりました。

秋は確実に近付いていますね。

この夏、皆さんはどのような思い出を作られましたか?

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ナミ

東男の父と京女の母の元、途中まではお嬢様教育を施されたお転婆ワガママ一人っ娘。京都生まれの京都育ち、27歳。自称レストランサービスコーディネーター(自分で作った職業名)。 仕事=趣味の生き方が災いしてか、度重なる縁談にも縁がなく独身。イギリスではパブでライブを、フランスでは1つ星レストランで異次元な体験を・・そして帰国後に麻布十番から葛飾を経由して現在は江戸川のほとりで暮らしています。さてさて、ここでも素敵な出来事が目白押しの予感・・・。

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