
地域に根ざしてご活躍をされている店主の方々へのインタビューをお届けします
| 第49回 「新たな居場所」 がらくた居酒屋 いっぽん 店主 暮林さん | ||||||||||
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朝に晩にボールを追いかけるサッカー漬けの毎日が、いつしか持病を悪化させていた。スポーツ推薦で進んだ高校でレギュラーを獲得するも、腰の痛みは日を追うごとに激しくなる。試合はおろか、練習も儘ならないほどに腰の“爆弾”は疼いた。「このまま続けるのは無理だ」17歳のサッカー少年は苦渋の決断を下し、夢を、諦めた。
それからの年月は、長い模索の道のりだった。暮林さんは振り返る。 「目標がなくなり、将来が見えなくなりました。何もない自分が歯がゆかった。高校もサッカーがあったからこそ通っていたわけですから、部活を辞めてしまったら僕にとっては行く意味すら見出せない。何かしなければ、違う目標を探さなければと、もがきました」 模索の第一歩は、地元静岡にあった。少年は父が営んでいた配管の仕事に没頭する。テレビや新聞で取り上げられるサッカーの情報は見ないようにした。だがこのときはまだ、目標は見つからない。 1年ほど配管業を続けたのち、彼は大学に通う兄を頼り、都心に出た。「東京に行けば何か見つかるかもしれない」そこで出合ったのが飲食業、すなわち現在の仕事である。 「実際に居酒屋で働いてみて初めて、飲食業はお客さんに気を配る大変な商売だと知った。そのとき、一生を懸けるにはいい仕事だなと思いました」 再生のきっかけを手土産に、暮林さんはふたたび故郷に戻った。地元の串焼店で店長代理として働きながら、経営方針に疑問を抱いたことも手伝って、独立の思いを強めていく。 「20代の若造が経営に口を出してきたら、上司からすればおもしろくなかったでしょうね」彼は苦笑いする。 「でも僕は、お客さんに対するサービスをなによりも優先したかった。いつのときも、一番大切なのはお客さん。いまもそうですが、お酒も料理も、お客さんに喜んでもらうことが大前提です。僕の考えが正しいと証明するには、自分でお店をやるしかない。また30歳までに、将来の道筋ぐらいはつくっておきたかった。それで独立を決意しました」 暮林さんはふたたび配管業に精を出し、開業資金を貯めた。兄の協力により、店舗もすぐに見つかった。妻を伴い桜台に店を構えたのは、いまからちょうど1年前、2006年1月のことだ。 暮林さんは言う。 「来てくださったひとたちに何ができるかをつねに考えています。静岡の名物や美味しいお酒など、食事を楽しんでもらうのはもちろんですが、お客さんにとって、なんとなく来たくなるような存在になれるといいですね。地域に根ざした息の長いお店にしたい。幸い、予想以上にお客さんが付いてくれました。これからさらに店を育てたいと思います」 最近は、ふたたびサッカーに目を遣るようになった。ときには自らボールを蹴ることもあるという。なぜなら、「いっぽん」という新たな夢を手にしたからに他ならない。 取材・文◎隈元大吾 |
![]() 「会話や店の雰囲気を楽しんでほしい」 と暮林さん ![]() カウンターには焼酎好きの夫婦が 厳選したお酒が並ぶ ![]() 桜台駅から徒歩2分の 好立地にあるお店 |
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がらくた居酒屋 いっぽん
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