
地域に根ざしてご活躍をされている店主の方々へのインタビューをお届けします
| 第43回 「受け継がれゆくもの」 不二ベーカリー 店主 萩原さん | ||||||||||
|
船乗りだった父がこの地に開業して、もう60年以上が経つ。父は戦時中、世界を航海する船上でケーキを作っていた。当時としては珍しい世界の味を知る菓子職人は、帰国するとベーカリーを営むようになる。開業は、まだ戦火も消えない1940年のことだった。
「当時の記憶となると、さすがに思い出せません」と、萩原さんはいう。 「私が生まれたころには、父が開業して2年ほど経っていました。記憶といえば3歳のころ、東京大空襲でこの辺り一帯が焼けて、母が私を背負って逃げたことを憶えています」 しかし桜台に縁があるのだろう、一度は戦火に追われた一家だが、ふたたびこの地に戻り、土地を譲り受け、あらためてベーカリーを建て直した。当時は焼け野原で、まだ交通事情も儘ならなかった時代である。だが、西武池袋線が開通すると街は活況を取り戻し、駅前にも人通りが増えていった。 父が桜台駅前に築いたベーカリーには、ポリシーがひとつあった。西武線の始発にあわせて店を開け、終電が終わるまで営業するというスタンスである。 「父をはじめ、かつての商人は夢中で働いていましたからね。たとえ訪れるひとが少ないと判っていても、来てくれる方がいるかぎりは店を開けていました。父と母はそれこそ24時間、仕事していたようなものです」 そんな両親の背中を見て、萩原さんは育った。物心つくころには自然と店を手伝い、見よう見まねで仕事を吸収していく。 「門前の小僧ですよ」若かりしころを思い返し、彼は笑う。 「両親からなにかを教わったわけではない。ただ手伝っているうちにいつのまにか、“仕事とはこういうもんだ”というのを学びましたね」 25歳になるころには、「手伝い」という立場から、店舗に立つだけでなく経営にも携わるようになった。それから40年来、父とともにいまも店を守り続けている。棚に並ぶパンは、生地にあまりバターを使わない昔ながらの味わいを保ち、終電を待つ営業スタイルも変わらない。 「人通りが少なくなったのは残念です。でも、終電が終わってお客さんが引けるまでは開けています。父も98歳になりましたがまだ現役ですし、やめようと思わないかぎり私にも定年は来ません」 そう言って、萩原さんは笑った。 駅前の風景も、時代も、幼いころと較べずいぶんと変わった。しかし「不二ベーカリー」が守り続けるポリシーは、父の代から息子の代まで60年以上、いまなお息づいている。そして、終電を降りて立ち寄り、パンを買い求める利用者が絶えないこともまた、開業当時と変わってはいない。 取材・文◎隈元大吾 |
![]() 「やめようと思ったときが定年」 と語る萩原さん ![]() 終電がなくなるまで 店の明かりは消えない ![]() 父から受け継がれた昔ながらのパン |
|||||||||
|
不二ベーカリー
|
||||||||||



