
地域に根ざしてご活躍をされている店主の方々へのインタビューをお届けします
| 第35回 幸寿司 店主 水品さん | ||||||||||||
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少年には楽しみにしていることがあった。幼い頃から毎年、盆や正月になると、東京で寿司屋を営む叔父が新潟の実家まで足を運び、親戚に寿司を握ってくれるのである。「将来、何をしよう」という自身の問いに対するこたえは、叔父と、そして東京への憧れも手伝って、自ずと決まっていた。小学校を卒業する時分にはすでに、少年は「寿司屋になりたい」と文集にしたためていた。
「修行はもちろん厳しかったですけどね」叔父の店に弟子入りした15歳当時の自身を思い返し、水品さんは目を細める。 「右も左もわからない年齢だし、とくに自分は口下手。ひとと接することに慣れていないせいもあって、年配の方と話すのが苦手でした」 しかし少年の不安は、職場の環境が払拭してくれた。身を寄せる5人ほどの弟子たちは皆な、彼と同郷の顔見知りだった。年齢こそ離れてはいたものの、馴染み深い人々に囲まれる寮生活は、ときに顔を出すホームシックさえも慰めてくれた。 寿司職人の仕事は、5年ほどで一通りできるようになるという。だが弟子は、ただ技術を学べばいいというわけではない。経験年数に応じて序列も変わり、後輩を育てなければ独立も果たせないのである。水品さんは、17年に渡り職人としての力を蓄え、と同時に店を切り盛りしながら後輩の成長を手伝った。「幸寿司」の暖簾分けを決意したのは、今からおよそ10年前、32歳のときだった。 それにしても、過酷な労働である。鮮度の管理が重要な仕事において、毎日、早朝から市場に足を運び、客の舌を喜ばせる魚を見極める。厨房に戻れば準備をし、昼には店を開け、深夜まで包丁を握る。ゆっくりと体を休める時間などないに等しい。 だが目の回りそうな毎日にも、水品さんは楽しそうに笑みをこぼす。 「寿司職人は体が資本。酒も出すし、仕入れもある。定休日はない。朝早く夜遅い生活ですから、ほとんど店にいますね。でもね、そんなことは慣れてますよ。やめたいと思ったことなんて一度もないし、好きじゃなきゃできません」 練馬に店を構えて、今年で11年目を迎えている。 「おかげさまで、ここまでなんとか順調にやってきました。今後は店を広げるなど、さらに上を目指したい。そのためにも、きちんとひとを育てなければいけませんね」 幸寿司の味を多くのひとに届けたい、そんな思いが言葉に滲む。 ところで、店のカウンターだけでなく、場所を変えて握ることはあるのだろうか。 「新潟の実家に帰ると、たまに握りますよ。両親や兄弟たち家族はみんな喜んでくれますね」 かつて叔父がそうしていたように、いまは水品さんが自らの手で、身内のために大好きな寿司を振舞っているそうだ。 取材・文◎隈元大吾 |
![]() * 店主の水品さん * ![]() * 練馬駅近くのお店 * ![]() * 水槽を備えた店内 * |
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幸寿司
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