
地域に根ざしてご活躍をされている店主の方々へのインタビューをお届けします
| 第3回 酒肴処 やかた 店主 菊地邦之さん | ||||||||||||||
|
その日も青年は大学の授業を終えると、アルバイト先の割烹料理店へと急いだ。親方とふたりで切り盛りする、小さいながらも京都では隠れた老舗である。まだ二十歳そこそこのアルバイトの身では料理はおろか尻を叩かれてばかりいたが、それでも彼にはひとつだけ楽しみにしていることがあった。親方の目を盗み、客の残した料理の味をこっそりと確認するのだ。「小僧」と呼ばれ食器洗いしかさせてもらえない立場で、その道を究めた料理職人の味を学ぶには、教わるのではなく盗むしか手立てはなかったのである。 「昔から料理が好きだったんですよね」およそ30年前の自身を思い返しながら、菊地邦之さんは目を細める。「大学時代のアルバイトのおかげで、舌は磨かれたと思います。でも料理に対する興味を抱いたのは中学時代。当時から自分で夜食をつくっていましたから」。 菊地さんの実家はもともと、昼間はコーヒー、夜は酒を振舞う純喫茶を練馬で経営していた。買い出しなど、彼も幼い頃からよく店の手伝いをしたものだった。ただ夜遅くまで母が店に立っているため、食事は自分で用意するしかない。中学に上がると、弟の分もあわせて菊地さんが夜食をつくるようになった。料理と向き合うのは、その頃からである。 大学を卒業すると、22歳の青年は意を決して店を継いだ。世話になった親方から譲り受けた包丁を握り、それまでの一杯飲み屋から酒も食事も楽しめる小料理店へと移行する。若さゆえのアイデアも豊富だった。「無垢な気持ちで迎えたい」と、酒場の定番である赤提灯をやめ、白い提灯を軒に飾った。またメニューを店の外に掲げるなど、当時としては珍しい画期的な試みも行なった。そして時の流れとともに、季節の旬の食材を用意する「おまかせ料理」が生まれたのである。 ただ「おまかせ料理」といっても、一方的につくるわけではない。「お客さんの好みやその時々の具合をこちらが感じてつくりますから、テーブルによって並ぶ料理が違うこともありますよ」と、菊地さんはいう。「なにより大事にしたいのは、素材そのものの味を楽しんでもらうこと。日本料理は余計な手を加えませんから。そして私に委ねてもらえれば、きっと食の楽しみを感じていただけると思います」。 核家族化が進み、お袋の味が失われつつある一方、加工された食品が氾濫している世の中を、菊地さんは嘆く。 「家庭料理がしっかりしてないとプロの本当の味は判らないというのが私の持論。味は受け継いでいくものですから、訊かれればレシピも惜しみなく教えてあげるんですよ」 かつての自分は人目を忍び、こっそりと親方の味を盗むしかなかった。しかし、自ら厨房を仕切るようになったいまは違う。ひとりでも多くのひとにこの味を知ってもらいたい、そして後世に伝えたいと、菊地さんは願っている。使い古されたノートの最初のページには、親方から学んだレシピが書き留められていた。 取材・文◎隈元大吾 |
![]() * ご主人の菊地さん * ![]() * 駅前にある店舗 * ![]() * 軒に飾られた白提灯 * |
|||||||||||||
|
酒肴処 やかた
|
||||||||||||||



