
地域に根ざしてご活躍をされている店主の方々へのインタビューをお届けします
| 第25回 とんかつはやみ 井戸さん | ||||||||||
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創業は昭和49年にさかのぼる。いまでこそ駅前は栄え、店舗が面する蔵前通りも車の往来が激しくなったが、開店当時はずいぶん閑散としていたものだ。あれから30年あまりが経過し、小岩の風景はがらりと趣きを変えた。 変化したのはなにも街の風景だけではない。時代が移りゆくとともに、店を訪れる顔ぶれも変わった。成長して地元を離れた若者もいれば、景気の波にさらわれ姿を見せなくなった常連客も少なくない。「当初は先のことなんてまったく想像もつかなかったね」そう言いながら細めた目尻には、この地で重ねた年月分だけの皺が刻まれていた。 小岩で「とんかつはやみ」を営む井戸さんは、いわゆる“金の卵”の世代である。高校を卒業すると、「料理人になっていつか必ず自分の店を持とう」という夢とわずかばかりの私物を鞄に詰め込み、集団就職列車に乗り込んだ。故郷の新潟をあとにして向かったのは、名門ホテルが経営する東京のレストランだった。コック帽に憧れた18歳は本場でフランス料理の腕を磨いたシェフのもと、料理人としての第一歩を踏み出した。 フレンチをベースにさまざまな食材を扱い、料理の引き出しを増やしていく。もちろん、いま生業としているとんかつもそのなかのひとつだ。着実に腕を磨き、20代で店を持つまでになっていた。 しかし、道のりはけっして平坦ではなかった。自ら切り盛りしていた在日米軍相手のレストランは、ベトナム戦争が終わるやまたたく間に傾いた。ついに手にした「自分の店を持つ」という夢が砕けるのに、一年とかからなかった。 「とにかく料理を作るのが好きなんだよね。イヤだと思ったことは一度もないし、何歳になってもこの仕事を終わらせたくない。包丁一本あれば料理はどこででもできるでしょう」 職にあぶれても、料理人の選択は揺るがない。アルバイトを探し、料理ができるところならどこへでも足を運んだ。ときにデパ地下のデモンストレーションや夏場には海の家、また水商売の人々が仕事帰りに空腹を満たす店など、いろんな場所で包丁を握り続けた。どんなに運命に翻弄されようとも、厨房を離れる気は一切なかった。そうして辿り着いたのが、現在の店である。 暖簾を掲げ、じつに30年以上が経つ。開店当時、母親に連れられ食べに来ていた幼児が、いまや30を過ぎ、「ヒレカツの味が忘れられなくて」とはにかみながら自分の子どもを連れて訪れるようになった。かたや常連のなかにはお年寄りも多く、親子3代で訪れる家族もいまでは珍しくない。 「小岩は故郷。楽しい気持ちはこの仕事を始めたころからずっと変わらないよ」井戸さんはともに厨房を切り盛りする奥さんと微笑った。どんなに風景が移りゆこうとも、そこにある想いはいつも変わらない。それが、ひと所で30余年が紡がれている理由である。 取材・文◎隈元大吾 |
![]() 「炊きたてのごはんを出したい」と語る ご夫婦。注文を受けてから料理を作る ![]() とんかつやキャベツ、ごはん、 味噌汁などそれぞれにファンがつく ![]() お昼は12〜14時に店を開き、 夜は出前に限っている。 写真は「やわらぎ」(800円) |
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とんかつ はやみ
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